*カバー装画・唐仁原教久
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*370頁 / 発行 2008年
*カバー文
古い雑誌を眺めれば、その頃の記憶が、時代の空気が、甦ってくる。小学生時代、夢中になったプロレス雑誌。中学ではじめて定期購読を経験した映画雑誌。高校ではロックに目覚め音楽雑誌を読みふけり、大学ではついにミニコミ誌でライターとしてデビュー。1960年代から80年代。雑誌が一番面白かったあの頃の全34誌を思い出と共に振り返る、資料としても貴重な極私的青春クロニクル。
*目次
小学校時代(一九六五 ― 一九七一) ―― 雑誌が私の学校だった
初めて買った雑誌は『冒険王』と『少年画報』だ
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい“総合雑誌”だった
『別冊ゴング』の「ゆずってください」欄に名前が載った
『ゴング』の「読者の誌上会見」を毎号熟読玩味した
『漫画讀本』を知ったのはジョン・F・ケネディの暗殺の日だった気がする
祖母が愛読していた週刊『TVガイド』
中学校時代(一九七一 ― 一九七四) ―― いよいよ雑誌にはまっていった
『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告
生まれて初めて定期購読したのは『キネマ旬報』だった
日比谷の不思議な「三角洲」で見つけた二つの映画雑誌
『平凡』より『明星』の方が垢抜けていたような気がする
昼休みによく相撲をとった私は『相撲』を愛読した
高校時代(一九七四 ― 一九七七) ―― いわゆる「雑誌の時代」にリアルタイムでドキドキ
出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない
高校一年生にはレベルが高過ぎた『宝島』を何度も眺めた
ディランに目覚めて手にした日本版『ローリングストーン』
『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也の文章にガツンとやられた
一見ミーハーな『ミュージック・ライフ』のインタビュー記事はロックしていた
『週刊読売』の横尾忠則のアヴァンギャルドな表紙
エロだけでなく読物も充実していた『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ』
『月刊PLAYBOY』に日本版「ニュージャーナリズム」を感じた
予備校時代(一九七七 ― 一九七八) ―― いつのまにか読書家になっていた
いかにして私は文春小僧となりしか
実は『面白半分』を愛読していたわけではない
時代の新しさに対応していた『本の雑誌』のアマチュアリズム
『マスコミひょうろん』から『噂の眞相』へ
大学時代(一九七八 ― 一九八三) ―― チッと思いながらも実は新しいものも好きだった
“たしかに冬樹社という時代があった”『50冊の本』
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立に何かが始まる予感があった
一九七九年の『ハッピーエンド通信』
『ブルータス』の読書特集号は読み応えがあった
出版社のPR誌のことも忘れてはいけない
現代版『洋洒天国』としての期待に応えた『サントリークォータリー』
「新言文一致」時代のインタビュー誌『スタジオ・ボイス』が新鮮だった
就職試験を受ける頃に創刊された『BOOKMAN』
私は学生ミニコミ誌『マイルストーン』編集部にいた
あとがき / 解説 群ようこ
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